清里フィールドバレエを主催する「バレエシャンブルウエスト」今村博明総監督・川口ゆり子芸術監督が第43回「ニムラ舞踊賞」を受賞しました。
「ニムラ舞踊賞」は、大正から昭和中期にかけてニューヨークを中心に、欧米各地で活躍した長野県諏訪市出身の世界的な舞踊家ニムラエイイチ氏によって創設された諏訪市教育委員会が主催する賞。
ニムラ氏の「祖国日本で後進育成のために貢献したい」という意思により、親友であり良き理解者でもあった故藤原正男氏を通じて託された寄付金。それを元に1973年、基金が設立され、多くの関係者のご尽力により賞の運営が続けられています。
この賞は広く日本の舞踊界を対象として、前年までにもっとも優れた成果をあげた舞踊家、舞踊関係者を選出しています。日本の舞踊、バレエ界を代表する選考委員が、その責任において厳選する、舞踊界において大変権威の高い賞として知られています。
また、国内においては舞踊界、バレエ界を対象とした賞があまり多くないことから「小さくて大きな賞」として注目されています。
この「小さくて大きな賞」、ニムラ舞踊賞を受けた歴代の受賞者は、現在、日本の舞踊界における中心的な存在として、国内はもとより、国際的な舞台でも活躍しています。
授賞式は11月24日に諏訪市内にて行われる予定です。
▶授賞理由(諏訪市HPより引用)
バレエシャンブルウエストとして第100回定期公演を開催。
また、日本で唯一連続上演されている野外バレエ公演である第35回清里フィールドバレエでは清里高原萌木の村の特設野外劇場において10日間公演を開催。
その他、次世代のバレエダンサーを発掘し育成することを理念とした第13回全国バレエコンクールin八王子を開催するなど多彩な活動とこれまでの長年のバレエへの功績に対して第43回ニムラ舞踊賞を贈り、これを賞する。
▶受賞発表ページ
https://www.city.suwa.lg.jp/soshiki/28/75443.html

【受賞の言葉】
〈今村博明 受賞コメント〉
私が新村英一先生のお名前に出会ったのは、1977年の事と記憶しています。
50年近く前のその時をなぜか鮮明に覚えています。文化庁在外研修員として、ロンドンで2年を過ごし、帰国前の2ヶ月にニューヨークを最後の研修地と選んだ私はカーネギーホールの隣にあったバレエスタジオを訪れ、そこに飾られた新村先生の写真に出会ったのです。そして英語表記の Eiichi Nimuraのお名前を拝見し、日本の方の写真が飾られた事に驚きと興味が湧きました。
当時の私は27歳、帰国を目前にし、高い理想を持つ夢溢れる青年であったと思います。帰国後の自身の責務を思い、広い世界を見た喜びと充実感に満ちていた頃です。それは新村先生が亡くなられる 1年前であった事を年譜を拝見して思いました。この度の受賞の知らせを頂いたとき、見えないご縁を思い、長い時間をかけて先生のお写真と再会できたような不思議な感覚を覚えました。
生涯を舞踊にかけられ、祖国を離れニューヨークで生涯を終えられた新村英一のご功績を偲び、継承する舞踊芸術が我が国でも立派に育っている事を先生にご報告したいと思います。この度の受賞を新たな励みとしこれからの日本のバレエ発展の為に力を尽くす所存でございます。名誉ある賞を頂き深く感謝申し上げます。〈川口ゆり子 受賞コメント〉
この度はニムラ舞踊賞を受賞させて頂きありがとうございます。牧阿佐美先生がアレキサンドラ・ダロヴァ先生に学ばれ、橘秋子先生が日本に教師として初めてイゴール・シュベッツオフ先生を招聘され特別講習会を開いて下さったなどの関係で、私は高校卒業と同時に森下洋子さん祐希美帆さん、武者小路有紀子さんと共にニューヨークに留学をいたしました。
確かな記憶では無いのですが、リンカーンセンターの近くでニムラ先生のお写真を拝見し、この地で活躍なさっている日本の方がいることを目にし、誇りに思った事を思い出します。留学して半年後にシュベッツオフ先生が私たちのためにコンサートを開いて下さったのですが、そのリハーサルが多分カーネギーホールの中の稽古場であったように記憶しています。そこがニムラ先生のスタジオだったかと思いながら、記憶をたどると次々に走馬灯のようにその時代の日々が蘇りました。
あれから何十年、あのとき初めて日本を離れ、バレエに没頭した日々が今の土台になっているかと思います。歴史あることをつなぎ、歴史あることを後輩に伝え、先輩の方々の力を感じ、時を経た今、私もずっとつなげる役目をしなければいけないと思っています。この度の受賞を機会にまた気持ちを新たに前に進みたいと思います。ありがとうございました。

